歴史と沿革



日本健康学会 歴史と沿革

1.「民族衛生学会」創立から1950年代中盤まで

学会の前身は1930年に創設された日本民族衛生学会である.同学会は,2017年に健康学会に改称するまで一貫してこの学会名称を用いているが,現在の学会の方向性は創設当時とは大きく異なっている (1).

学会設立の発会式には首相を含む政治家が多く出席し,設立趣旨としても「生命の根幹を浄化し培養せんとする・・・」「政治・経済・法律・宗教の浄化」も謳うなど,かなり思想的な動機を持った集まりであったことがうかがわれる (2).機関誌「民族衛生」の創刊号で,設立の中心的人物であった永井潜は,学会の使命を「民族としての人間本質の改善に外ならない」とし,その改善のためには環境の改善は無力であり,遺伝的性質に働きかけるべきという優生運動的主張を展開している (3).

学会は1935年からは,より啓蒙的・実践的活動を中心とするため「民族衛生協会」と改称,研究は協会内の「学術部」が担当した (この学術部の別名が民族衛生学会であった).永井は1937年に同じ研究室の福田邦三に理事長を引き継いでいる.1958年に「協会」と分離し,学術に中心を置いた「学会」が復活するまで終戦を挟む25年間弱,断種法や日本民族優生保護法などの法案の案文作りに積極的にかかわったり,これらの法案を議論する政府委員会を支えるなど,一貫して優生思想を推進したことが指摘されている (4,5).

こうしたpro-優生思想的なスタンスは戦後にも残り,1946年の「民族衛生」の巻頭言 (6) において,永井は再び断種法や国民優勢法などの重要性を強調している.この間,1940年には「国民優生法」が国会で成立,終戦をはさんで1948年には同法を廃止して,「優生保護法」が制定された.前者の成立に民族衛生学会を含む協会が強くコミットしたことは間違いないが,後者の成立において積極的な関与があったのか否かは定かでない.永井は,終戦後も優生運動についての見方を変えることがなく,1956年に最後の著書「性教育」(雄山閣出版) を発刊し,1957年に亡くなった.永井の逝去と関係があると思われるが,翌1958年,民族衛生学会は協会と分離し,独自の会長・執行部と会則を持った学術団体となった (7).

2.「民族衛生学会」(1958年以降) から「日本健康学会」への名称変更

学会と協会が分離した1958年の「民族衛生」巻頭言で,当時の理事長福田邦三は,学会の取り扱う分野を「日本民族の特殊事情に焦点を合わせた衛生あるいは保健,すなわち民族衛生」とする,具体的には,人類遺伝学・人類生物学・人類生態学とそれらの応用に関する研究を対象とする,としている (8).永井が「民族衛生学というも,また優生学というも,内容においては全く同一」(9) としていた民族衛生学の定義がここですっかり変わったことになるが,名称というものはあまり変更すべきでないというやや消極的な理由で,学会・機関誌の改称には至らなかった.「最初は永井先生の縁故関係の色彩が強かった」学会が「現在は・・・・学問と理想とで志を同じくする会員の集団」となった,学会が優生学を離れ,日本にフォーカスした保健領域の学問として「生まれかわった」とも表現 (8) しており,少なくとも表向きは,かなり急速な変化であったことが推察される.

福田の巻頭言を受ける形で,1960年代以降の学会では,優生学・遺伝学の研究が顕著に減少する一方で,人口問題,疫学,環境あるいは社会・文化を重視した健康に関する研究が比重を増し,さらに健康観やその歴史に関する研究が多くなされるようになった (2,10,11).福田自身は1968年の論文 (12) において上述の「日本民族の特殊事情」とは,「身体・精神・社会的な意味での生存,生活の状態.および物的・心的・社会的環境条件」として整理しており,これらを分析・総合して研究することが学会としての中心的課題と考えていた.同じ論文の中では学会名の一部である「衛生」とは,「保健」という語とほぼ同義であり,医学的概念を超え,社会・文化的要素を取り込んだ生活概念である点を強調している.近年の学会活動は,包括的な健康の概念や (社会・文化を含む) 環境的要素を重視する点で,福田が解説した方向の延長にあると言えよう.「民族衛生」創刊号巻頭言において,遺伝要因の環境要因に対する優位性が主張されたことを考えると,広い意味での環境要因を重視する現在に至るまで結果的に180°の方向変換を遂げてきたとも言える.

学会の方向性が変遷する中で,学会の名称についても折に触れ議論が行われた (例えば13).ただし,そのような議論の中で,優生思想指向が強かった戦前・戦中の学協会活動について具体的に触れているものは少ない.2014年からは,学会の活性化を図ることを目的として議論が行われた中で,学会で行われている研究領域と内容とをわかりよく反映する名称が検討された結果,2017年に「日本健康学会」と名称を変更,日本医学会連合に変更を届け出て承認された.名称の変更によって,医学会連合の中で初めて「健康」という単語を含む学会名を掲げた学会となった.

学会は,2017年の名称変更以前から,旧日本民族衛生学会の「国民優生法」制定への関与について,文献調査の実施や勉強会の開催,総会での議論を重ねてきた.加えて,2018年来「国民優生法」に代わって戦後に成立した「優生保護法」を巡る社会的な検証が活発化したことから,戦前の日本民族衛生学会における優生関連法制定への関与について,学会として何らかの意見表明を行うべく作業を進めてきた.2019年,こうした活動の中間報告として,国民優生法制定までの経緯についてまとめた文書を「理事会報告」として学会誌 (854号) に発表した.

 

[出 典]

  1. 日本健康学会について https://jshhe.com/about
  2. 鈴木善次 日本の優生学-その思想と運動の軌跡- 三共科学選書14(1983)
  3. 永井潜 民族衛生の使命 民族衛生1,2–14(1931)
  4. 莇昭三 15年戦争と日本民族衛生学会(その2) 15年戦争と日本の医学医療研究会会誌4,29–39(2004)
  5. 橋本明 我が国の優生学・優生思想の広がりと精神医学者の役割 山口大学看護学部紀要1,1–8(1997)
  6. 永井潜 巻頭言 民族衛生13(2,3),25–26(1946)
  7.  会報 民族衛生23(5,6),208–210(1958)
  8. 福田邦三 巻頭言 学会機関誌としての「民族衛生」 民族衛生24(1) 1–2(1958)
  9. 日本民族衛生学会の創立(雑報) 民族衛生1,95(1931)
  10. 柳沢文憲 日本民族衛生学会雑誌「民族衛生」の動向 民族衛生30,3–12(1964)
  11. 植松稔 研究の流れから(鈴木継美による節) 民族衛生48(5),258–267(1982)
  12. 福田邦三 民族衛生の意義と課題 民族衛生34(3),105–108(1968)
  13. 座談会 Human Ecology と民族衛生 民族衛生44,2–11(1978)
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